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浦和地方裁判所熊谷支部 昭和47年(ワ)216号 判決 1975年9月16日

原告

服部ウメ

被告

主文

一  被告は原告に対し、金五〇〇万円を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

主文同旨。

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第三原告の請求の原因

一  身分関係

原告は訴外亡服部岩吉(以下、岩吉という。)の妻であり、同人の唯一の相続人である。

二  交通事故の発生

1  岩吉は、昭和四五年一二月一二日午前六時二〇分頃、バイク(スズキ九〇CC、以下、岩吉車という。)を運転して埼玉県比企郡滑川村大字羽尾四、三九八番地先路上を滑川村役場方面から東松山市方面に向かつて進行中、折から同路上を岩吉車と同方向に進行中の普通乗用自動車に接触されたかあおられたかしたため転倒し、頭部内出血により同日午前七時頃死亡した。

2  右交通事故発生の状況は、次のとおりである。

即ち、現場は、岩吉車の進行方向からみて、緩やかな右カーブのうえやや上り勾配になつた舗装道路(左側には側溝がある。)であるところ、岩吉車が現場に差しかかつたところを、同方向に向かつて進行してきた右乗用車がこれを右側から追い越し(追い抜きも含む。以下同じ。)をしようとした際、被告車に衝突したかこれをあおつたかしたものである。右の事実は、

<1> 岩吉車が転倒したと思われる直後頃現場において、東松山市方面に向つて一台の普通乗用車が停止し、その傍に岩吉車と思われるバイクがたてかけられ、右乗用車の脇で、一人の男が中腰になつて背後から、殆んど意識のない状態で倒れている一人の男を抱き起こすような仕草をしていたこと、そして、右救護的措置をとつていた男は、近くに店屋(坂本屋)があるにも拘わらず、右店屋を利用して更に警察への通報等の措置をとることを全くしていないことからみて、同人が本件事故と極めて深い係りを有している可能性が大きいこと、

<2> 岩吉が事故に遭遇して約一〇分から一五分後現場を通りかかつた者達が、滑川村役場方向に向いてたてかけられてあるバイクと右バイクに背をもたせかけ、足を側溝にまたげた格好で、殆んど無意識状態の岩吉とを発見したので、直ちに右坂本屋を利用し、消防署を介して警察に通報したが、岩吉はひどくけがをしていたのであるから、自らバイクをたてかけ、転倒したと思われる地点から移動したうえそこに背をもたせかけるというようなことをすることは不可能であり、右<1>でみた抱き起こそうとしていた男が、岩吉のバイクをたてかけたうえ、同人を右バイクにもたせかけたまゝ逃走したとみるのが、極めて自然であること、等の諸事情から容易に推認することができる。

三  責任原因

以上のとおり、本件交通事故はいわゆるひき逃げ事故であり、加害車の保有者が明らかでないため原告において自賠法三条の規定による損害賠償の請求をすることができないから、政府である被告国は、同法七二条一項に基づき、政令で定めた金額の限度において、右事故によつて生じた損害をてん補する責任がある。

尚、自賠法七二条でいう「自動車の運行によつて」事故が発生した、との主張、立証責任は、被害者(原告)側にあると考えられるが、前記二1、2のとおり、本件にあつては少くともひき逃げ事故であるとの推測を許す合理的根拠となる事実があり、その可能性が十分認められる以上、強大な捜査能力を有する被告側において、右可能性を積極的に否定する強力な証拠を提出しない以上、被告である国はその責任を免れないものと考えるべきである。

四  損害

本件事故によつて岩吉および原告に生じた損害の合計は金九一六万三、一九四円を下らない。また、前記政令で定められた損害てん補の限度額は金五〇〇万円である。

五  結論

以上により、原告は、被告に対し、本件事故によつて生じた損害のうちの金五〇〇万円の支払を求める。

第四請求の原因に対する被告の答弁

一  第一項は認める。

二1  第二項のうち、原告主張の日時、場所において岩吉が岩吉車を運転中死亡したことは認めるが、本件事故が第三者のひき逃げ事故である旨の主張は否認する。その余の事実は知らない。

2  岩吉の死亡は、他の自動車の運行に基因するものではなく、むしろ、同人の自損行為によるものである可能性が極めて強い。

即ち、現場に残された岩吉車のステツプの擦過痕等から考えると、上り坂で急なカーブのため見通しが非常に悪いうえ路面が凍結していた現場に差しかかつた岩吉は、右カーブを曲がり切れずに自ら運転を誤り、バイクの右ステツプを道路に滑走させた状態で進行し、道路脇に置いてあつたドラム罐にバイクを衝突させて死亡したものと考えられる。

以上の事実は、岩吉の身体、衣服からも岩吉車からも他車との衝突を推認させるような痕跡が発見できなかつたこと等からも、裏付けされる。

尚、原告は、岩吉車が現場に立てかけられてあつたうえ、岩吉は転倒したと思われる地点から移動されていると思われることからみて、同人以外の本件事故と深い係りをもつ第三者が岩吉を移動させたうえ、バイクを立てかけたとみるべきである旨主張するか、岩吉の転倒時から死亡時迄には約四、五〇分もの時間があり、即死ではなかつたのであるから、その間において、同人から自分自身を移動させたうえバイクを立てかけることは十分可能であり、或いは加害者以外の第三者がそのようなことをなしたと考えられなくもない。

又、原告は、岩吉を抱きかかえていた者が加害者でないとすると、健全な常識からすれば、かかる者が警察への通報等の救護的措置をとると思われるのに、これをしていないことは、同人が加害者である可能性が強い旨主張するが、岩吉を抱きかかえていた者がいたか否か疑問であるばかりでなく、仮にそのような者がいたとしても、その者が加害者であるとするのは論理の飛躍である。同人が加害者でなければ右の如き救護的措置をとるであろうというのは、原告の憶測にすぎない。

更に、原告は、岩吉車を追い越そうとした乗用車が同車に接触した旨主張するが、現場の道路は幅員六メートルと狭いうえ、急カーブの上り勾配のため、一般常識を以てしては、現場において他車を追い越すというようなことはおよそ考えられず、仮に、乗用車が岩吉車を追い越そうとするならば、道路の右側を通行していた岩吉としては、事故を回避するために、当然道路の右側に寄ることが考えられるのに、実際にはその反対の左側に寄つていることなどから考え、乗用車が岩吉車を追い越そうとして同車と衝突したとは、到底考えられない。

三  請求原因三項は否認する。

自賠法七二条にいう要件についての立証責任は、原告も認めているように、原告側にあると解すべきところ、本件の場合、前記のとおり、事故原因が岩吉の自損行為にあるとするのも十分な根拠があり、原告の主張するような他人の車による事故であるとの具体的な証拠は存しない。従つて、立証責任の分配に従い、真偽不明による立証の不利益は原告が負うべきである。

四  請求原因四項は認める。

第五被告の仮定的抗弁

仮に、本件事故が他の自動車の運行による事故であるとしても、岩吉には大きな過失がある。

即ち、事故現場は急カーブで上り勾配のうえ、路面は凍結していて危険な状態であつたのに加えて、もともと岩吉は運転が下手で道路にも不慣れであつたにも拘わらず、同人は、かなりの速度で通行していたことが窺われるうえ、道路の右側端に寄つて通行し、事故を回避する為の措置をとらなかつたのであるから、岩吉には重大なる過失がある、というべきである。よつて、その損害額は大幅に減額されるべきである。

第六仮定的抗弁に対する答弁

否認する

第七証拠〔略〕

理由

第一  請求原因第一項については当事者間に争いがない。

第二  請求原因二項のうち、原告主張の日時、場所において岩吉がバイクを運転中死亡したことは、当事者間に争いがない。

第三  本件訴訟の最大かつ唯一ともいうべき争点は、岩吉の死亡が、他の車の運行に基因するものといえるか否か、という点にある。そこで、以下、この点について検討する。

一  〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事故発生の現場は、ほぼ南北に延びる県道深谷東松山線で、別紙図面に示すとおり深谷市方面から東松山市方面にかけ(即ち、ほぼ南北にかけ)、約四・八パーセントの上り勾配を伴なつた急な右カーブが始まりかけた地点であつて、道路の東側には林、西側には墓地や栗畑があるため、右カーブの見通しは非常に悪い。又、右道路は、歩車道の区別はないが、全面アスフアルト舗装され、幅員六メートルを有し、両側には〇・四メートル幅の側溝がある。尚、本件事故当時、右道路には中央線がなかつたうえ(但し、当裁判所の検証時である昭和四九年七月八日の時点では中央線は引かれている。)、霜が降りて、路面は凍結していたが、積雪ののち凍結して生ずるいわゆるアイスバンの出来ている状態ではなく、又、冬の早朝でもあつたことから付近は薄暗く、ライトをつけて走る車両も少なくなかつた。

(二)  岩吉は、約一〇年程前から農閑期を利用して、同じ部落の仲間数名と共に東京方面に土方仕事に出かけていたが、本件事故当日も、いつものように、東松山駅発午前六時三六分の列車で東京へ向かうべく(いつも、およそ六時半頃仲間と同駅前で待ち合わせをしていた。)、同駅より約六・九キロメートル、事故現場より約二・二五キロメートルほぼ北方にある自宅から同六時一〇分過ぎ頃岩吉車に乗つて同駅方向へ向かつた。

(三)  同日午前六時三〇分過ぎ頃、訴外小暮敬次が自動車で現場を通りかかつたところ、同所付近の道路東側(深谷方面からみて左側)にある坂本屋商店南側出入口から約六メートル南側(東松山市方向)の地点(道路東側、側溝脇)に、一台のバイク(岩吉車)が深谷方面に向けて立てかけられ、右バイクの東側に、ひとりの人間(岩吉)が、背をもたせかけたうえ、足を側溝の方へまたがせた格好でもたれかかつているのを発見したので、同人に近づいたところ、同人は、顔は血だらけのうえ、かすかに呼吸はしているものの、殆んど意識を失つている程ひどいけがをしているようすであつたので、右小暮は、間もなくダンプカーを運転して同所を通りかかつた訴外平野民郎らと共に、右坂本屋商店を叩き起こしたうえ同店より消防署へ電話した。そして、同日午前六時四五分頃、消防署より、ひき逃げ事故が発生した旨の通報を受けた東松山警察署は、直ちに警察官三名を現場へ急行させたが、岩吉は、事故原因等について何らの供述もすることなく、同日午前七時頃右事故現場において頭部内出血により死亡した。

(四)  別紙図面に示すとおり、事故現場である前記坂本屋商店前の道路のほぼ中央(道路東側、即ち同商店前から二・八メートル)の地点から前記バイクより北方約二・八メートルの道路東端にあるドラム罐の所まで、東松山市方面に向け斜め前方に、断続的な新しい擦過痕が一条認められ、右ドラム罐にも新しい衝突痕が認められた。

又、右道路の擦過痕からは、前記バイクの右ステツプに巻かれていたと同一のビニール製テープの破片がいくつか発見された。

(五)  前記バイクは、岩吉が昭和四五年五月頃新品のものとして購入し、自宅から東松山駅までの通勤に利用していたものであり、本件事故当日の朝も、右バイクに乗つて自宅からでかけていた。

同バイク前輪には衝突痕があり、緑色塗膜が付着しており、右塗膜は現場にあつた前記ドラム罐の緑色塗膜に一致した。又、バイクの右ハンドルに付けられてある手袋部分(地上から約八一センチメートル)に擦過痕と小豆大の穴があり、赤土が付着していた。

更に、バイクの右ステツプ先端下部に擦過痕があり、同部分は著しく摩滅していたが、そのほか、同バイクからは他車の塗膜は発見できず、バイク全体としてみると新しく、タイヤも殆んど摩滅していない状況であつた。

(六)  事故当時岩吉が身につけていたジヤンパー、ズボン、帽子及び手袋等からは、塗膜禄漏片は検出できず、又、右衣類等には他車のタイヤ痕はなかつた。

(七)  尚、岩吉は、昭和三五年二月に自動二輪車、原動機付自転車の免許を取得し、事故当時まで事故や違反は何も起こしていなかつたし、岩吉と同じ部落からバイクで通つていた他の仲間らも、本件事故現場で転倒等の事故を起こしたことはなかつた。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

二  右一の事実によれば、岩吉は、いつものとおり、いつものバイクに乗つて東松山駅へ向かうべく本件事故現場に差しかかつたところ、何らかの原因で、前記坂本屋商店前の道路ほぼ中央から、バイクの右ステツプを道路に滑走させた状態で左斜前方へ進行し、道路左端に置いてあつた前記ドラム罐にバイクの前輪を衝突させ、そのはずみでバイクからふり落とされて頭部等を強打し、死亡した、と推認することができ、右認定に反する証拠は何もない。

三  ところで、〔証拠略〕を総合すれば、本件事故発生後間もなくの頃、前記坂本屋商店より約十数メートル南へ寄つた道路東側(側溝の脇付近)に一台の乗用車が東松山市方面に向かつて停車し、右乗用車のすぐ北側(深谷方向)に一台のバイクが立てかけられており、右各車両の東側の側溝付近で、中腰になつた一人の男が、気絶しているかのように動かずに両手をだらりとさげて倒れ、顔に血のような黒いものをつけたもう一人の男を、背後から抱きかかえていた(尚、この間、右須沢ら数名の者が現場を自転車或いは自動車で通りかかつた。)ことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

もつとも、事故の前後頃本件現場を通りかかつた前記須沢松雄、贄田三郎及び贄田青の各供述は、現場を通りかかつた時刻、乗用車の色及びその停止位置、バイクの立てかけられている方向、人影の有無等につき必ずしも合致をみている訳ではないが、このことは決して右事実の認定の妨げになるものではない。

そうしてみると、<1>本件事故の発生した時刻と、倒れている男を他の男が背後から抱きかかえていた時刻との間隔が相当に短時間の範囲内であること、<2>抱きかかえられていた男は、気絶しているかのように動かずに両手をだらりとさげて倒れ、顔に血のような黒いものをつけていたが、これは、岩吉が、顔は血だらけのうえ、殆んど意識を失つている程ひどいけがをしている状態でそのわずか十数分後に発見されたときのようすにほぼ合致すること、<3>岩吉とバイクとが発見された場所と、岩吉がバイクの傍で背後から抱きかかえられていた場所とは、必ずしも同一地点とはいえないとしても、いずれも、前記坂本屋から幾分南へ寄つた道路東側であり、両者はおおむね一致すること、等の諸事情を総合すると、背後から何者か(男性)によつて抱きかかえられていた男というのは岩吉であると認められ、しかも岩吉は、バイクから振り落とされたのち気絶している程の状態であつたのであるから、被告が主張するように岩吉自身が自分自身を移動させたうえバイクを立てかけるというようなことはまず不可能であり、結局、岩吉は、事故直後何者かによつて抱きかかえられる等されたのち、右何者かによつて立てかけられたバイクにもたせかけられたものと推認する以外にないと思われる。

四  それでは、一体、本件事故は、いかなる原因によつて発生したのであろうか。被告が主張するように、岩吉の自損行為によるものであろうか、それとも原告が主張するように、接触その他他車の影響に因るものであろうか。

(一)  確かに、前記一(五)、(六)のとおり、岩吉が当時身につけていた衣類から他車のタイヤ痕及び塗膜よう薄片は発見されず、更に岩吉車からも他車の塗膜は発見されず、その他岩吉車と他車との接触を裏付ける痕跡は見い出せなかつたのであるから、岩吉車は、接触その他他車の影響によつて転倒したのではなく、路面が凍結していたこともあつて、右への急カーブを曲がり切れずに運転を誤まり、前記二で推認したように、バイクの右ステツプを滑走させた状態で進行して道路東側脇に置いてあつたドラム罐に衝突して死亡した、という見方も十分成り立ちうるようにも思われる。

(二)  しかしながら、右のような見方に対しては、以下に述べる如き疑問点が考えられる。

1 岩吉の身体、衣服および岩吉車から他車との接触を推測させる痕跡が発見されなかつたからといつて、このことから直ちに接触のあつたことを否定し去るわけにはいかないし、まして、接触はしないまでも他車の影響により前記滑走が始まつたとの可能性を否定することのできないのはいうまでもない。

凍結した急カーブの路面を走行するバイクに対しては、ほんの僅かの力が加えられただけでバイクのハンドルの自由が失われるということは、通常よくありうることであり、例えば、バイクを追い越そうとした乗用車がバイクの右ハンドル付近にわずかに触れただけでも、あるいは、触れなくともこれに接近して通過するだけで、本件の如きバイクの転倒事故は十分に起こりうることであつて、この場合、後者にあつて接触の痕跡の発見されないのは当然であるのみならず、前者にあつても右バイクの右ハンドルに乗用車の塗膜や擦過痕がつかないこともないとはいえない。

2 具体的にどのような原因から運転を誤つたというのか、必ずしも判然としない。

スピードを出し過ぎたために、右への急カーブを曲がり切れなかつたのではないか、ということも考えられるが、岩吉車の事故直前のスピードは、さほどのものではなかつたのではないか、とも思われる。蓋し、前記一(二)のとおり、岩吉は、いつも約二〇分(間)で自宅より約六・九キロメートルの所にある東松山駅まで通つていたのであるから、単純に岩吉車の通常の平均時速を算出すると僅か二十数キロメートルとなり、制限痕がないうえ事故直前の岩吉車の走行状況を目撃していたという証人がいない本件の場合、同車の事故直前の正確な速度を認定することは不可能であるとしても、自宅を出発する時刻と右駅に到着する時刻とはいつもそれぞれ殆んど同じであるうえ、事故当日もいつもとほぼ同じ時刻に自宅を出発しており、その日に限つて特に急がなければならない必要もなかつたと思われることから考えると、本件事故直前の速度が、前記平均時速を大幅(例えば、時速四〇キロないし五〇キロメートルとか)に上廻ることもなかつたのではないか、とも考えられる。

又、路面が凍結していたために右への急カーブを曲がろうとした際、タイヤが滑り、ハンドルの自由が失われてしまつたのではないか、ということももちろん考えられる。

しかし、路面の凍結とはいつても、積雪ののちアイスバンができているといつた本格的なものではなく、霜が降りて出来た程度のものでしかなく、岩吉車のタイヤもまだまだ新しく、摩滅の程度も低かつたのであるから、右に検討したように岩吉車のスピードがさほどのものではなかつたのではないかとも思われることと合わせ考えると、岩吉車のタイヤが容易に滑り、ハンドルの自由がやすやすと失われることもなかつたのではないか、と考えられないわけのものでもない。

仮に、タイヤが滑つたとしても、そのような場合運転者としては本能的にハンドルを元に戻すよう応急の措置をとるのが通常と思われるのに、そのような措置がとられた形跡は何もなく、又、タイヤが滑つてカーブを曲がり切れない場合は、速心力や慣性の方則等により、バイクはそれ迄進行してきたとおおよそ同じ方向に向かつて進行すると思われるのに、実際には岩吉車の右ステツプの擦過痕はそれ迄同車が進んできたのではなかろうかと思われる方向(これはもちろんはつきりしないが、右急カーブのため見通しが極めて悪かつたことからみて、道路右側寄りを走行してきたと考えるよりも、道路中央寄りを、あるいは道路左側から中央付近へと向かつて走行してきたとみるのが、どちらかといえば自然であろう。)よりも、かなり左にそれてついている。このことは、道路中央付近で、岩吉車に対し、右から左の方向に向け何らかの力が加えられたのではないか、ということを疑わせる一資料となるとも考えられる。

そのうえ、本件事故前にも、現場の路面が凍結していたことは少なくなかつたであろう(冬期の早朝であるから)と思われるのに、本件以前において、本件事故現場をバイクで通る岩吉及びその仲間らのうちに、本件の如きバイクの転倒事故を惹起した者はひとりもいなかつた、ということから考えると、本件現場は一般的には、事故の起こり易い、危険な箇所であるとはいいうるとしても、いな、そのようにいいえればこそ、毎朝通る岩吉らとしては、むしろ十二分の注意を払つていたのではないか、ということもあえて考えれば考えられないのではない。もつとも、〔証拠略〕によれば、岩吉と同部落の者が、聞き込み捜査中の警察官に対し岩吉は、運転は下手で、本道路には不慣れであつた旨述べたことが認められるが、岩吉は昭和三五年に自動二輪車などの免許を得て以来、本件事故まで何らの事故を起こしていないのであるから、岩吉の運転が下手であるこの右供述の信憑性は低く、又、仮に、下手であるとしても、そのことは、右のように、十二分の注意力を払つていたのではないかということの推測を妨げる事情に直ちに結びつくものではない。)。

以上、検討した結果、四(一)のような見方(岩吉自身が運転ミスを犯してバイクを転倒させた、という見方、以下、便宜、自損行為説と称する。)の成り立ちうる可能性も十分認められこれを否定し去ることは勿論できないものの、他方、これを積極的に裏付けるだけの資料も存在せず、右の説に対しては、尚いくつかの疑問点が払拭されていないことが明らかになつた、ということができる。

(三)  それでは、次に観点を変え、原告が主張するように本件事故は岩吉車が接触その他他車の影響により転倒することにより発生したという考え(以下、便宜、接触説と称する。)を根拠づけると思われる資料について検討することとする。

1 前記三のとおり、岩吉は、本件事故発生後間もなくの頃何者か(男性)によつて抱きかかえられるなどされたのち、右の者によつて立てかけられた岩吉車にもたせかけられるなど、ある程度の救護的措置を受けているが、岩吉に対しこのような措置をとつた男が、本件事故に極めて強い係わりをもつている者である可能性は相当に大きいということができる。なぜならば、右の男が本件事故と何らの係りのない者であつて、岩吉が転倒していた現場をたまたま通りかかつたにすぎない者であつたのなら、現場近くに商店(坂本屋)もあつたのであるから、右の男は、同店を介して警察に通報するなどのより積極的救護措置をもとるのが通常と思われるのに、そのような措置を何らとつていないからである。

もちろん、事故に全く関係のない者が、たまたま事故現場を通りかかり、けが人を発見して、抱き起こす等のある程度の救護的措置をとつてはみたものの、けがの重大さなどを知らされるうちにそのような救護的措置をとつていたのではけが人と何らかの係わりを有していると疑われるのではないか、などということを恐れ、救護的措置を中途のまま放り出して逃げ去ることも十分ありうることであるから、救護的措置をとつた者がいたからといつて、その者が本件事故と係わりを持つていると断定することの許されないのはいうまでもない。

しかし、事故に全く係わりのない者が、たまたま事故現場を通りかかり、けが人を発見したような場合には、一般的にいうならば、「君子危うきに近寄らず」との考えからそのまま通り過ぎるか、さもなければ、警察に通報し或いは救急車を呼ぶ等の積極的救護措置をとるのがより通常であろうと思われ(特に、本件の場合、前記何者かが岩吉を抱き起こすなどの措置を施しているその脇を、前記須沢ら何人かの者が自転車や自動車で通りかかつているという事実に注目すべきである。右何者かとしても右事実に気付いている可能性が大きいのであるから、須沢らに対し岩吉を故護するにつき何らかの助力を求めるのは容易であつたわけであるし、また、前記何者かが第三者に自己の救護的措置を目撃されたとの自覚を持つたとすれば、逃げ去ることによつてかえつてひき逃げ犯人と疑われることを防ぐためにも、右の助力を求める気持になりそうにも思われる。)、ある程度の救護的措置をとりながらそれ以上のことをしないで現場を去つた者がいたという事実は、その者が本件事故と強い係わりを持ち本件事故の原因を作り出した者なのではないかと疑わせるべき相当に有力な根拠となる、ということまでは許されるであろう。

2 一方で、前記(二)2で述べたとおり、道路ほぼ中央付近を走行していた岩吉車に対し、右から左の方向に向け、何らかの力が加えられたのではないかと疑われないでもないのに加えて、他方前記1で述べたごとく、本件事故に関しては、その原因を作り出したのではないかと思われる何者かが存する疑いがあり、しかも、右何者かは、東松山市方向に向けて停車していた乗用車の傍に居たところからみて深谷市方面から東松山市方面に向かつて走行してきた乗用車に乗つていた男と思われることを合わせ考えると、右乗用車が、岩吉車を追い越そうとしてその右側を通過しようとした際、岩吉車の一部に軽く接触したかこれをあおつたかして本件事故が発生したとみることにはかなりの合理性が認められるといつてよかろう。被告は、現場での追い越しは不可能であり、又、岩吉車は道路右側を走行していたと思われるから、乗用車に追い越されようとするならば、道路の右側に寄るであろうと思われるのに、反対の左側に寄つていることなどから考え、追い越しの際の接触事故とは認められない旨主張する。しかしながら、幅員六メートルもあれば、たとえ少々の上り勾配であつたにせよ、車幅の狭いバイクを追い越すことは十分に可能であるうえ、現場は見通しの極めて悪い急な右カーブであつたのである、から、岩吉車は、一般の車がこのような急カーブを曲がろうとする際にするような方法、即ち、道路左側から少しづつ道路中央に寄りかけ、つまりカーブをできるだけ緩やかに曲がろうとする方法をとつて道路中央付近に出てきたものとみるのが、どちらかといえば自然である。従つて、このような動きをしているバイクを前方に見た場合の乗用車の運転手としては、それが慎重なひとであれば速度を落したうえバイクの左側を通過するであろうか、そうでないひとであるなら、乗用車の速度に比べてバイクの速度が一般にはかなり低いこともあつて、そのままバイクの右側を追い越すということは、十分に考えられることである。

以上、接触説を根拠づけると思われる資料についても種々検討してみたが、結局、接触その他他車の影響によつて岩吉車が転倒したと断定することは勿論できないものの、そうではないだろうか、ということを疑わせるに足る合理的理由はある、ということができる。

第四  自賠法七二条一項は被告(国)か損害のてん補の責任を負う要件として、生命又は身体の侵害が「自動車の運行によつて」生じたものであることを定めている。そこで、バイク等に乗つていて何らかの事故によつて生命又は身体を害された者がこの規定によつて被告(国)に損害のてん補を求めようとする際、その者はこの点につき具体的にどのような事実をどの程度明らかにしなければならないかということが次の問題となる。

この点については、原告(被害者)側の方で他車の運行によつて事故が発生したことを疑わせるに足りる合理的な根拠となる事実の存在を証明しさえすれば、これに対し、被告(国)の方でその事故は他車の運行によつて生じたものではないとの事実そのもの、又はその事実の存在を強力に推測させる事実を積極的に証明しない限り、前記法条の適用の問題としては、その事故は「自動車の運行によつて」生じたものであることが立証されたものとして扱うべきものと解すべきである。

道路上を通行していた者が転倒等により死傷した場合、仮にそれが真実他車の影響による場合であつても、その車の保有者が明らかでないときには(自賠法七二条一項は保有者が明らかでない場合のための規定である。)、そのことを明らかにすることは被害者にとつて必ずしも容易なことではなく、特に、事故が、他車の影響によつて生じたものであることを裏付ける痕跡を残さない形で生じたときには(そして、自動車による事故がこのような形で生ずることがけつして稀有ではないことについてはすでにのべたとおりである。)、単なる一私人としての被告者の側で事故が他者によつてひき起されたとの事実を証明することはほとんど不可能といつてよく、被害者の側にこれを要求するのは、難きを強いる結果となり酷に失するといわざるをえないであろう。それに対して強大な捜査の権限と能力を有する被告の側で、ひき逃げ事故でない、つまり自損事故であるという事実そのもの、又はこれを強力に推測させる事実を立証することは、もちろん必ずしも常に容易であるとはいえないが、被害者の側でひき逃げ事故であることを証明することに較べれば、はるかに楽であるということはできるであろう。特に、本件の如く、被害者(であるかもしれない者)が即死に近い状態で死亡してしまつている場合には、その感を一層強くするのである。

これを本件についてみるに、前記のとおり、本件事故は接触その他他車の影響によつて発生したのではないかということを疑わせるに足る合理的な根拠となる事実は認められるに反し、自損行為説に対しては、もちろんその可能性は十分認められこれを否定し去ることはできないものの、尚いくつかの疑問点が払拭されておらず、被告国側で同説を根拠づけるだけの証明をしたとは到底認めることはできない。特に本件の場合、〔証拠略〕によれば、東松山警察署は、本件を当初、ひき逃げ事件と考えて捜査を開始し、加害者不明としてその旨交通事故証明書を作成している(この点は、当事者間に争いがない。)うえ、担当捜査官は、当時中学生であつた前記須沢が事件発生後間もなく岩吉らしい者を背後から抱きかかえていた男を目撃した旨捜査官に対し述べているにもかかわらず、右須沢の供述を、中学生の供述であるなどという理由にならない理由のみでこれを等閑視し、本件に極めて強い係わりを持つかもしれない男の割り出し及びバイクからの指紋採取等の捜査を殆んどやつていないことが認められ、被告国側において自損行為説を裏付けるための捜査活動が十分であつたとは到底いえない状況である。

(尚、〔証拠略〕によれば、岩吉は運転を誤まり受傷した旨の記載があるが、これは、医師が確たる根拠資料もなく、自らの判断で記載したにすぎないものであつて、このことが、自損行為説を裏づける何らの根拠にもならないことはいうまでもない。)

結局のところ、本件の場合、岩吉が他の自動車の運行によつて死亡した、という原告側の主張については自賠法七二条一項を適用するについて必要な証明はなされたものということができる。

第五  責任原因

右にみたとおり、本件事故は、他の自動車の運行によつて生じたものであるとして救われるべきであるのに、加害車の保有者が明らかでない(この点は本件全証拠により明らかである。)から、被害者について自賠法三条の規定による損害賠償の請求をすることができない。したがつて、被告国は、原告に対し、同法七二条一項に基づき、政令で定めた金額の限度において、本件事故によつて生じた損害をてん補する責任がある。

第六  損害

請求原因三項については当事者間に争いがない。

第七  過失相殺について

本件全証拠によつても、本件事故発生につき、九一六万三一九四円の損害額を金五〇〇万円未満にまで減額することを必要とさせるだけの落度が岩吉の側にあつたものと認めることはできない。

第八  結論

そうすると、被告に対して本件事故によつて生じた損害のうちの金五〇〇万円の支払を求める原告の本訴請求はすべて理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高野明孝 山下和明 鈴木敏之)

別紙図面

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